メール。

2001年9月14日
ずいぶんいっぱいしてるなあ。だいちゃんと。
アポです。日曜に。

だいちゃんからメールが来た。
もう喫煙同盟としての信頼感は完璧ね。(笑)
バイトで労働基準法違反しそうと。何時間はたらくんやろ・・・。
で、日曜にあることをします。
うちが考えつかないような楽しいことを。
あー、こういう発想もあるのね。だいちゃんすごいや。
後輩呼ばなかったら2人だけやったのに・・・。自爆かな?(笑)
これから逆襲開始です。
ふふふ・・・。見てろよ!

今日はレポートで終わりそうな予感。

とりあえずこれからかてきょっす。
今日は自腹で買った過去問をやってもらおうかと。
わかんなかったとこをつぶしてきゃいいんだよね。勉強なんてさ。

さー、今日もがんばりますよ!

またあとでー。


・・・って、帰ってきました。

やっぱ入試問題は難しいみたいねえ。
理科をやってみたけど、教えるのも難しい。
物理の力学の概念を指揮を使わずに説明するのってどうすりゃいいんやろなあ?
そもそも、「力」っていうのがわかるのか?
運動量とかっていうのは無理やろうなあ。今日強引に説明しては見たが・・・。
小学校の先生って大変ねえ。
あー、英語教えたい!!

帰り道はいつもALIVEを歌っちゃうんだよねえ。(ミスチル)
―人類は醜くても人生ははかなくても愛し合える時を待つのかい?
・・・待つんやろなあ。
―夢はなくても希望はなくても目の前の遥かな道を
夢も希望も持っていいような気がしてきた。無駄じゃないよ、きっと。
人に認められるためじゃなくて、純粋に楽しむために夢とか希望をもったりしたっていいんちゃうかなあ?
人生が(生まれることが)苦だ、そういう思想も否定はできないけど、真実ではないような気がする。

生老病死の四苦と八苦(愛別離苦、求不得苦、怨憎会苦、五陰盛苦)と。そんな否定的なものしかないのが人生とは思えないよなあ。
生まれたこと自体が苦なんて、そんなこと思ってたまるか。それこそ存在否定みたいなもんや。
夢や希望が悟りを開くのに邪魔なもんだって言うなら、悟りは開けなくてもいいような気がする。
せっかく生きてんだから。いろいろ感じなきゃな。

全てを諦めることが悟りを開くことだ、なーんて実感してた時期がある。ちょっと前の話。
諦めると、何が起こっても「こんなもんだよなあ」っていう感じで、何も心に深入りしてこない。
全てが無駄に思えるから何にも執着しない。
本気で「無に帰りたい」とか思うし。(死にたいじゃない。死ぬのは手段に過ぎない。)
悟りに近いのかなあ?なーんて思ってしまった。

大事なもんがあるから悩むんだ。

悩んだ時点で、それが自分にとって特別になるんだろうな。
たとえそれが他人にとってどうでもいいものであっても。どんなによくないものであっても。

よくも悪くも「特別な存在」なんだよな。

そう考えると執着するよね。愛着と言ったほうがいいかな?
自分の思うもの全てに愛着が湧く。

それが「八苦」=大事なものから離れる苦しみ、憎むものに会う苦しみ、人間の心身と環境のすべてを形成する物質的・精神的なものによる苦しみを生むんやろうけどね。

それはそれでいいかなあ?って思うなあ。
楽ばっかだとは思ってないし、苦痛ばっかってこともない。
いろいろあるやろな。これからずっと。

でもそのほうが楽しそうだ。

さーて、レポートレポートぉ。
飲みながらね・・・。

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